平昌オリンピックフィギュアスケート 羽生結弦選手のスター性を考察する
こんにちは。mochiです。
羽生結弦選手が金メダルを取った。しかも、連覇だ。
私も含め、日本中が湧いた出来事だったはずである。
羽生選手は、素晴らしい技術を持っているのはもちろんなのだが、着目したいのは、そのスター性だ。
しかし、あまのじゃくの要素を含む私は、このスター性を純粋に受け止めきれないのである。
どうしてこんなにも多くの人が魅力されるのか。こんなにも完璧なスター性を持つ人が実際にいるのだろうか。どこかにスターではない要素があるのではないか(こんな捻くれた考察をすることが私がスターになれない要素の一つだろう…)。
まずは、ここで言うスター性とは何かを定義しよう。
“スター性を持つ”、ということは、”人を惹きつける魅力を持つ” と、ここでは定義する。
さて、羽生選手の演技は、言うに及ばず、素晴らしい。私がそんなことを語るのもおこがましいくらいである。
…一見、隙がない。しかし、隙がなさそうなスターでも、ウィークポイントはあるものだ。
例えば、MAKIDAI氏。彼はルックスも良いし、ダンスも上手い。スターであるかのように見える。
しかし、コメントが驚くほど薄い。
そのあまりの薄さに、私は彼をスターと呼ぶかどうか悩んでしまうのだ。
羽生選手のコメント力はどうなのだろう。海外メディアからの、”リンクに投げ込まれた、大量のくまのプーさんはどうするの?”の問いに”Go back to forest.(森に帰るよ)”と答えたらしい。そのジョークの後に、きちんと説明をしたという。
…隙がない。スターらしい答え方である。
そんな中、私は、平昌オリンピック競技前の羽生選手の練習を報じている、とある新聞の写真に目がとまる。
それは、ジャンプで回転中の羽生選手の姿であった。顔に着目すると、険しい表情をしている。
臭いものを嗅いだような表情だ。
なるほど、ジャンプ中の顔に隙があるのではないか。そんな仮説をもとに羽生選手のいろんなジャンプの表情を確認する。しかし、特別面白い表情であるとは言えない。それを探している私の姿の方がむしろ滑稽なのである。
さすがに隙がない。
羽生選手には隙がないというのは、間違いなさそうだ。
そうなると、私の考察(…興味)は、他の選手のジャンプ時の表情へと発展していったのである。
そこに現れたのが、田中刑事選手だ。彼もオリンピックに出るほどの実力の持ち主である。
彼のジャンプの時の表情をご存知だろうか。顔が1.5倍ほどに伸びるのだ。
この表情は、芸人がギャグとしてやっても決して大笑いするものではない。しかし、何にこんなにも惹きつけられるのか。それは、きっとギャップである。これが見れるのは、競技が終わった後のスローモーションだけなのだ。
あの美しい演技に隠されたちょっと面白い表情。それが私を興奮させるのだ。
田中選手の演技を見ると、私は惹きつけられるようになった。
あの4回転の中に実は、あの表情があるのだ。私の興奮は、おさまらない。決してバカにしているわけではない。究極のギャップに魅せらせているのだ。
美しいジャンプに隠された白目と伸びた鼻の下。
いつの間にか田中選手を好きになっているのだ。
さて、ここでスター性の話に戻してみよう。
スター性というものが人を惹きつけるもの、であるならば、田中選手は、私の中ではスターなのではないだろうか。
決して万人に好かれる完璧をみせるものだけがスターなのではないのかもしれない。
スターという概念が少し変わっただろうか。
今日もMAKIDAI氏の薄いコメントを待ちわびる私がいるのであった。