冷蔵庫のない生活。ミニマムに暮らす。【2019ver】

こんにちは。餅味噌教授です。

私は、シンプルに暮らすこと、出来る限り最小限の物で生きたいと思うミニマリストです。

ミニマリストの著書にはとても興味があり、本屋さんで立ち読みをすることもしばしばです。そして、ある著書に出会いました。

稲垣えみ子さんの ”寂しい生活”。

これは即、購入させて頂きました。

彼女はアフロヘアーがよく似合う、3.11を境に、電気を使わない生活を目指した人物です。彼女の著書に激しい衝撃を受けることになりました。

その内容とは。

『冷蔵庫を捨てた

!!!!

いやいや、無理無理… 一番必要なものでしょ…

あまりに自分の生活とかけ離れたその言葉に、SF映画のような非現実を感じたものです。

冷蔵庫のない生活なんて・・・考えられない。そう感じてから数ヶ月の日々がたちました。

そして、私はついに、冷蔵庫を捨てたのです

冷蔵庫っていらないものだったの?

冷蔵庫とは何だったのか。これを考えてみましょう。

私が生まれた時から、冷蔵庫はキッチンの主役とも言える大きさでドーンと佇んでいました。「ただいまー」と帰ってきたら、まずは冷蔵庫を開けて、食べ物を物色する。そんな思い出がある人も多いのではないでしょうか。

冷蔵庫は、引っ越すと一番最初に場所が決まるほど、あることが当然というものです。冷蔵庫がなければ食べるものの置く場所がなくなってしまいます。

まさに、生活必需品。そうです。私も皆さんが思っているであろう、常識的な感覚はあります。そんなに変わり者でもありません。

もちろん、稲垣えみ子さんも風貌はなかなか個性的なものを感じますが、大きく常識とはかけ離れた存在でもないのです。

ではなぜ、その生活必需品をなくすことになったのか。

それではもっと冷蔵庫のことについて考えていきましょう。きっと、デメリットがあったはずです。

冷蔵庫とは、低温で食品を保存する家電製品である。

そうですね。

低温で食品を保存することによって、食材を長持ちさせることができます。もし、お肉なんかを冷蔵庫に入れ忘れたら、すぐに腐ってしまいます。その動力は電気で、常にコンセントを入れていなければならないです。

冷蔵庫のデメリットといえば、この”電力”でしょうか。普通に考えると私は、それだけしかデメリットを感じませんでした。

さて、稲垣さんは、冷蔵庫をどう捉えたのでしょう。

”寂しい生活”の中に、こんな記述があります。

『冷蔵庫とは、「いつかの箱」であり、「夢の箱」なのである』

そう、冷蔵庫に食品を入れることで、1週間先、1ヶ月先の食料を保管することができます。冷蔵庫とは、そういうものなので、当たり前のことと言えば当たり前のことなのですが、著書では、ブッダの言う『今を生きる』に話は繋がっていくのです。

要するに、冷蔵庫のデメリットと言えば、食品を保管することなのだ。というのです。

私の中で、何かが弾け飛びました・・・

なるほど、面白い!

例えば、電気代を節約しよう。そのために冷蔵庫をなくそう。という提唱だけであれば、きっと、私は冷蔵庫をなくす決意をしなかったと思います。

そんな興奮の中、『いつかの箱』は、私にとっても、”必要なもの”から、”無くしたいもの”へと変化しつつありました。

冷蔵庫のない生活の実践

衝撃の日から数ヶ月。冬を待った私は、妻とともに冷蔵庫のコンセントを抜きました。

これは、壮大な実験です。

この実験の肝は、冬であること。そして、コンセントを抜くだけということ。いつでも復旧できるし、冬であれば、まだリスクは少ない、と考えたからです。

冷蔵庫の中身を整理する妻。「これ、いつのソースだろ。」「あ、練りわさびの賞味期限きれてる。」「何だこれ?何だっけこれ?」

冷蔵庫の奥には、ブラックホールがあるようです。いつのものか分からないものが出てきます。

常温で良いもの、要冷蔵のもの。一つ一つ確認しながら、その日から要冷蔵のものがすぐに調理され食卓に並べられることになりました。

ひとしきり冷蔵庫の片付けが終了し、食材がなくなったので、買い物に出かけます。

いつも一週間分買いだめしていたのに、メガパック!と名のついた安売りの肉が買えません。家には冷蔵庫がありませんから。

ちょっと買いだめできるものといえば、根菜類。じゃがいもや人参、ごぼうなど。油揚げすらハードルが高い。肉は、今日食べる分だけ買う。そんな生活がしばらく続きました。

人間は面白いものです。

環境が変わると、何とかしようという本能が働きます。ぬか漬けを始めてみたり、油揚げをカリカリに焼いてみたり、えのき茸を干してみたり・・・。それが楽しいのなんのって。

冷蔵庫がないことが、まるでステータスかのように、家には冷蔵庫がない、というのが誇りにすら感じるようになりました。

冷蔵庫のコンセントを抜いて、1ヶ月。私たちは、リサイクル料を払い、処分しました。冷蔵庫の処分はお金がかかります。お金を払って処分する。というところも決意表明のようで逆に良かったと思います。

お金を出して何かを買うのと同じく、お金を出して望んで冷蔵庫を捨て、冷蔵庫のない生活を手に入れることができました。

これが、私たちが冷蔵庫と決別した心情でした。

必要だと思っていたもの、世の中の常識から一度離れてみたとき、新しい世界が見えます。これは、ミニマリストの原理と似ている部分があります。ミニマリストは、物を捨てることで、必要なものに集中する考え方。”なくする”ことで”ある”ことが浮き出てくるのです。

家でアイスを食べる。今までは、なんてことない日常でした。

しかし、冷蔵庫がなければ、アイスを食べることができるのは、アイスをお店で買ってからの”その時”しかチャンスはないのです。そうなると、アイスはご馳走に早変わりします。

アイスの選ぶ時間は、今と向き合う時間。私の選択はチョコモナカジャンボでした。大げさかもしれないが、アイスを食べてる今は、”今を生きている”という実感を持つ瞬間なのです。

もう一つ気づくことがあります。お米が美味しい!そして、味噌汁が美味しいのです。これは冷蔵庫をなくしてから気付く大事なことの一つだと思います。おかずに埋もれた冷蔵庫生活では気づかなかったことです。今この瞬間も日本人に生まれて良かった…と感謝することさえあるのですから。

なるほど稲垣さん。今を生きるとはこういうことなのですね。”いつか”を生きていた私は、”今”を生き始めるスタートに立った気分でした。

たった一つの ”ない” から、こんなにも ”ある” が生まれるのです。

無理だと思ったことでもやってみる。どうやっても、人間は生きていけるものなのですね。

縛られた固定概念から解き放たれることで、新しい価値観を得ることができると確信しています。もし、それに疑問を感じたのなら、冷蔵庫のコンセントを抜いてみてください。

それは、凍っていた心が動きだす瞬間かもしれません。